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大相撲、尊富士優勝おめでとう!110年ぶりの偉業ってどれだけスゴイ?

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2024年大相撲春場所が本日、千秋楽を迎えました。
大相撲ファンにとっては、驚きと感動の15日間でしたねー。

今年の大相撲春場所は初日から大波乱でした。
横綱の照ノ富士が何と、黒星発進!

荒れる春場所と言われていますが、照ノ富士は連敗が続き、怪我で途中休場になりました。
平幕に次々負けて、その負けっぷりが一方的で全然力が入っていない感じ。
その負け方が横綱らしくなく、体が相当悪いことがわかり気の毒でした。

またもや横綱不在で、誰が優勝してもおかしくない。
そんな中、照ノ富士と同部屋(伊勢ケ浜部屋)の力士、尊富士(たけるふじ)が優勝。
何と新入幕力士の優勝は110年ぶりという歴史的な快挙です!

目次

尊富士、新入幕力士の優勝は110年ぶり、どんなにスゴイ?

大相撲の番付では横綱が一番強く、その次は大関、横綱や大関が優勝するのは普通のことです。
今場所は横綱不在だから、その次の番付の大関に優勝のチャンスがあったわけです。

ところが、先場所まで十両で今場所が新入幕、前頭17番目の力士が優勝しました。
しかも、初土俵から10場所目での初優勝というのも偉業です。
この記録は「両国」の11場所目を抜く、史上最速です。

110年前の力士とは?いつ?

新入幕力士の優勝が110年ぶりとは?
その力士は「両國勇治郎」で、前頭14枚目でした。
1914年(大正3年)5月場所で、9勝1休みで初優勝をしています。
両國の最高位は東の関脇でした。

この当時、大相撲は今のように15日間ではなく10日間だったのですね。
15日間になったのは1939年(昭和14年)5月からでした。

さて、この1914年(大正3年)とはどんな年だったのでしょう?
1月 桜島の大噴火
3月 東京駅が新築落成
4月 宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)の第一回公演
7月 第一次世界大戦勃発
8月 大日本帝国がドイツに宣戦布告

と、このように自然災害や物事が始まった年でした。

大相撲 尊富士とは?まだある歴史的快挙

新入幕力士の優勝は110年ぶり、と書きました。
が、尊富士の歴史的快挙はそれだけではないんです。

初土俵から所要9場所で“幕内デビュー”は史上最速タイ。
初日から11連勝した1960年初場所の大鵬の記録から64年ぶりです。

10場所目での史上最速優勝。
これは、貴花田(貴乃花)と朝青龍の所要24場所の記録を大きく塗り替えています。

そして敢闘賞と技能賞、殊勲賞のトリプル受賞で一人で三賞受賞。
これは2000年九州場所の琴光喜以来、史上6人目となる総なめです。

大相撲 尊富士とは

伊勢ケ浜部屋でなかったら今の自分はいない、とまで尊富士は言います。
伊勢ケ浜親方の見る目には定評があるようです。
確かに多彩な力士が揃っているな、と実感しますね。

尊富士は青森県出身の力士です。
本名は弥輝也(みきや)で、尊富士 弥輝也です。

しこ名「尊富士(たけるふじ)」の由来は、古代神話の日本武尊(ヤマトタケル)です。
「尊」には高い地位を目指すと言う意味がありますので、より上を目指すのにピッタリですね。

尊富士は青森の中学校時代に照ノ富士と会っています。
そして、強くなる道として照ノ富士と同じ鳥取城北高校に進学しました。
その後、強豪の日大に進みますが、膝のけがによって思うような結果が出ませんでした。

尊富士は同じように膝のけがで苦しんできた横綱照ノ富士と縁を感じ、伊勢ケ浜部屋に入門しました。
横綱から指導を受ければ間違いないと確信があったのですね。

尊富士は照ノ富士のジム通いにも同行し、背中を見て育ってきました。
十両で優勝した時にも「もっと上を目指せ」と檄をもらい、厳しく温かい助言をもらっているようです。

尊富士の立ち合いの速さ、鋭さは横綱との稽古のたまものでしょうね。
上位と組んでも臆することなく前に出て行く勇気があります。
師弟関係の良さを知るにつけ、伊勢ケ浜部屋と言う環境の良さを感じます。

今後の尊富士がますます楽しみになりました。

大相撲 尊富士のドラマチックな優勝

それにしても、大相撲、尊富士の優勝はとてもドラマチックでした。
千秋楽の前日、優勝を目前に足首を怪我して救急車で運ばれました。
翌日の千秋楽は休場じゃないか、と誰もが思ったことでしょうね。

実際、尊富士は右足首付近の靭帯を痛め、激痛で眠れなかったと言います。
痛み止めの注射を打って千秋楽の出場を決めたそうです。

今場所、尊富士は2敗を喫しています。
その日、照ノ富士が電話をしてきて、尊富士の良いところは鋭い出足だと言っています。

確かに対戦相手が誰であろうと動きが早い!
13勝のうち11勝が10秒以内の速攻で勝っているというデータがあります。

力士の体格からは想像もつかないけれども尊富士は50メートルを6秒台で走る俊足の持ち主。
こういう持ち味を生かして早い相撲が取れるのでしょうね。

尊富士が休場した場合、星の差1つで追いかけている大の里が負けた場合は、尊富士が優勝でした。
けれども自分の手で優勝を勝ち取りたい、と言って尊富士は出場してきたんですよね。

伊勢ケ浜親方からは休場を勧められたそうです。
当然この先の力士生命を考えると、今は無理をさせないという判断だったと思います。

救急車で運ばれた病院では4時間近く検査をしました。
その検査が終わるのを待っていたのは、休場中の横綱照ノ富士。
「お前ならできる」と照ノ富士の言葉で背中を押され、尊富士は出場を決めたと言います。
怪我や病気と闘いながら這い上がってきた横綱照ノ富士の一言ですから、心に響いたのでしょうね。

大相撲 尊富士優勝110年ぶりの快挙まとめ

大相撲 尊富士が新入幕力士の優勝は110年ぶりという歴史的な快挙をあげました。
まだ大いちょうが結えないちょんまげ姿を見ると、いかに出世が早かったかわかりますね。
110年ぶりがどの位スゴイのか、また他にもある尊富士の歴史的快挙についてまとめました。
荒れる春場所と言われていますが、確かに今場所の優勝争いは平幕2人、大の里と尊富士が主役でした。
ちょんまげ姿の尊富士とざんばら髪の大の里が賞を独占しましたが、今後の相撲が楽しみです。

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